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大相撲の八百長問題では連日過剰なほどの報道が続いている。マスコミは全体として、八百長問題について厳しい姿勢が目立っている。確かに八百長が良いという人はいないであろうが、でも正直言っていささか過剰ではないか、何かとんでもない犯罪を犯しているかのような言い方すら見受けられる。
もちろん、特殊世界とも言うべき日本相撲協会には組織の改革が必要だ。あまり民主的ではないような面も多いようで、理事会の古い体質があるのも事実だろう。12人の理事のうち、力士出身でない外部理事は現在2人だが、これを大幅に増やす必要はあると思う。そして、麻薬などの薬物問題や野球賭博で暴力団とのつながりなどはトンでもないし絶対に許されない。
でもそれと八百長問題とはちょっと違うように感じている。八百長がよいわけではないから、八百長には厳罰をもって臨むという強い姿勢を打ち出すこと自体は表向きは良いとしても、果たして全ての相撲がガチンコになるかどうか、疑問もある。あまり強く言うと不謹慎だと言われるかもしれないが、実際には生身の人間の一対一の勝負なのだし、お互いにかなり気心が知れたもの同士でもあるし、明確な八百長ではないにしても多少気心を加えるということがあっても決しておかしくはない。
この八百長という言葉は、明治時代、八百屋の長兵衛が相撲の年寄相手の囲碁で、わざと負けたりして1勝1敗になるよう調整していたことが転じて、なれあいの勝負を指すようになったと言われている。
人から聞いた話で記憶が鮮明ではないが、昔江戸時代に天下無敵と呼ばれた谷風という相撲取りがいた。それこそ連戦連勝で63連勝まで到達したという相撲取りであったが、ある相撲興行で、病気の母親を抱える相手にわざと負け、多額の懸賞を相手に与えるという八百長のような相撲をやったらしい。しかしその当時非難されるどころかかえって江戸っ子の喝さいを浴びたという講談である。事実かどうかは不明であるが、相撲にはもともとそうした「人情相撲」というものもあるのだ。
常にガチンコを期待していても、例えば、自身は10勝は勝星をあげていても優勝には届かない、相手は7勝7敗でカド番ということでもあれば、気分的には力が出しにくいという人情が沸いてきたとしてもおかしくない。そうした優しいまなざしをも許すことがあってもよいのではないか、と正直に考えてしまう。世の中はドライになったとはいえ、義理と人情の世界でもあるし、多少は貸し借りということもあるかもしれない。人間世界であるから、そう単純には割り切れない面もあるのだ。
これに比べて今の永田町は、何となくガチンコ勝負ばかりになっているように感じてしまう。民主党対野党でもそうだし、民主党内部でもそうだ。政治の世界であるから与野党問わず、最終的には権力闘争である。しかしそれにしても常に国民の見ている目の前でガチンコ勝負ばかりやっていると、本当にこれでよいのか、という気も沸いてくる。
民主党はもともとマスコミフルオープンで役所や議員の議論を公開してきたから、まさにガチンコ勝負だ。あまり根回しなどはやってこなかった。民主党にはそういうものを嫌う体質があったし、かっての自民党はそれこそ密室での根回し政治が中心であったから、その対極を求めてきた。自民党の古い政治を打ち破ろう、民主党は情報公開で常に国民監視の下での新しい政治を実行するのだ、と高揚感に満ちた気持ちもあった。
そうした気持ちで政権与党になったは良いが、実際には義理と人情の世界を無視することも出来ないし、貸し借りを完全否定は出来ない。また何でも公開すればよいというものでもない。正面切った原理原則論ばかりではなく、他人には話せない状態での根回しもある程度必要だ。要は表と裏のバランスの問題であるが、今はどうもこのバランスが崩れているような気がしてならない。
岡田幹事長の原理原則主義者も良いんだけれど、たまには人情の機微もあっても良いのではないか。相撲の八百長問題とはちょっと場面は違うものの、人間の世界をどううまく調整していくか、ということだから、似たこともあるのではないか、もうちょっと上手にお付き合いがあっても良いのになあ、と何と感じてしまうこの頃です。
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