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◆捜査情報の漏洩問題についての私見

2010年2月3日付メッセージ

1 検察は最大の権力機構

政府・与党は大きな政治的権力を有しているが、検察もある意味ではそれ以上の大きな権力を有している。
犯罪の疑いがあれば、人を逮捕したり拘留したりして自由を束縛できるし、その結果、刑事裁判にかけて罰金であれば財産を奪うし、懲役であれば身体の自由を奪うし、死刑であればそれこそ生命を奪うわけであり、大変な国家権力である。国家権力の中でも治安維持、社会正義の実現という目的のための法律に基づいた暴力装置である。

仮に刑事裁判にかけられなかったとしても、例えば痴漢で逮捕されればそれだけで社会的に抹消されてしまうのが現実である。あとになって無罪でしたとなっても、いったん付けられた負のイメージが簡単に払拭できるわけではない。

政治家にとって見れば、贈収賄だけではなく公職選挙法違反や政治資金規正法違反で立件されたりすると、それだけで政治家としての政治生命が喪失させられてしまうおそれもある。

だからこそ検察には適切な権力の行使が期待されるが、現実には予断、偏見、思い込み等から完全に脱却できているわけではなく、間違えることもある。大きな権力機構だからこそ普段にチェックが必要である。
しかし検察は、ある時は準司法機関であるとして行政改革の対象から逃れ、またあるときはやはり行政機関であるとして司法改革の対象外になってしまう。検察当局は法務省の中でも独特の地位を占めている。法務大臣といえども、迂闊には手を出せない雰囲気すらある。

こうした検察に関して、その本来の行政機関としてのあり方、捜査情報の管理などについて、これまで本格的な検証がなされたとは言い難いのではないか。

2 検察が常に正しいとは限らない

日本では、一般的に起訴されれば99%有罪とされる現実がある。そうなると国民は検察が捜査に着手しただけで容疑者は犯人ではないかと考えがちであるし、さらに起訴されればまず有罪だろうと考える傾向が強い。それだけ国民の検察に対する信用性は高いと言える。

しかし、以前から日弁連などで無罪事件の集計がなされていて、その数は毎年相当の多数になっているし、窃盗、強盗、交通関係、痴漢、背任横領など罪名も多種多様である。
世間が注目するような重要事件でも無罪判決が多数出ている。最近でも志布志事件、氷川事件、足利事件などは検察の捜査自体に大きな問題があった。こうした著名事件では、裁判所の訴訟指揮を含めた裁判所の判断にも、また弁護人の弁護活動にも大きな問題があったと言わざるを得ないが、それでも一番問題が大きかったのは検察であろう。

さらに例えば松川事件※1、布川事件※2などでは、検察が不利な証拠を隠蔽していることも発覚している。政治家が対象になった事件では、最近、福島県佐藤知事の贈収賄事件が挙げられる。この事件では裁判の結果、認定される賄賂額が低下していって、結果的に0円となって実質的には無罪に近いことになった。※3
最近の事例を見ただけでも、これだけ無罪ないしは検察の捜査に問題があることが判明している。決して検察は正義だと決めつけるわけにはいかない。このことは冷静に謙虚にみる必要がある。

3 検察による情報操作、漏洩は看過しがたい

検察が世論をリードして特定の容疑者を犯人であると決めつけたり、犯人の悪質性をより煽り立てているのではないかと思われるような事案には枚挙にいとまがない。しかもこれは何も最近のことではなく以前から行われていた。最近の小沢幹事長の秘書らによるとされている政治資金規正法違反でも同様ではないかと思われる。この点は非常にデリケートではあるので、いますぐ指摘したりすると、なにやら検察に対する圧力ではないかとの批判も出てくるかもしれない。そこであまり具体的な指摘はとりあえず差し控えるが、指摘しようと思えば十分にできる。

そして取調べの可視化法案も速やかに国会に提出して成立を図るべきであるが、同様に今の時期に提出すると、検察への圧力を狙っているのではないかと言われかねない。
取り調べの可視化法案と今回の小沢幹事長の秘書らの政治資金規正法違反とは全く別個の問題である。しかしデリケートであることは否定しがたく、大変残念であるが、この点は私なりにいずれもっと明確に指摘したいと考える。

残念ながらマスコミもこうした情報漏洩や捜査に対して、十分な批判や検証を行ってきたとは言い難い。

4 マスコミは検察追随ではなく独自取材に基づいた客観報道が必要だ

マスコミは、ともすれば警察・検察発表をそのまま記事に垂れ流したり、検察のリークを情報操作という疑いもなくそのまま記事に掲載して検察の提灯記事になっている傾向もある。
マスコミとして国民の批判を常に受けつつ冷徹な調査、取材こそ必要である。
マスコミは本来、権力を批判するスタンスを有しているはずであり、政府も与党も常に批判の対象になりうる。この点は、強大な権力を持つ検察も同様でなければならない。

しかし、この点は必ずしも十分ではなかった。かっては、あるいは現在でも一部のマスコミは検察批判を遠慮せずに行っていたりして、中には「検察暴走」などと報道しているところもある。
最近では、週刊朝日が厳しい検察批判を行っていて、聞くところによれば検察から抗議が届いたという。もちろん検察が抗議するのは自由であるが、これは特に慎重にしなければならない。言うまでもなく検察は強大な権力を有しているので、一般的に言えば、検察から抗議を受けたとすれば通常は誰でもびっくりする。相手を脅かして自由な言論が萎縮するようであれば大いに問題だ。よほどのことがない限り検察がマスコミに抗議するのは控えるべきであろう。

他方マスコミ側も、「関係者によると」といった表現での報道を安易に乱発するのは問題だ。
私自身、いつもいつも情報源を明らかにせよとまで言うつもりはない。マスコミにとって情報源を秘匿しなければならないことや、情報源との信頼関係を維持しなければならないこともあろう。しかしだからといって曖昧な情報なのに、十分なウラもとらずに「関係者によると」といった表現で垂れ流すことで世論操作に寄与することは許し難い。

情報源が明らかであるならば、その点を明示すべきであるし、明示できないときには読者の側からすれば、どの程度の信憑性のある情報なのか簡単には分からないのであるから、十分なウラを取っていることを何らかの示唆をするなどして報道すべきである。
そしていったん報道した情報であっても、もしその後、誤りであったり信憑性に疑いが生じてきたときには訂正報道をする勇気を持って欲しい。そうした勇気こそかえって国民は評価するのではないか。

5 政治家の説明責任は重要である

政治家が常に国民に対して十分な説明をすべきことは当然である。説明責任の完遂こそ政治家に求められる重要な職責であるといって過言ではない。しかもこの点は与野党問わずに求められるが、職責が大きいほど説明責任もより大きくなる。特にマスコミがそれなりの根拠を示して報道をしたときには、指摘された政治家はしっかりとした反論を含めて説明をすべきだ。
検察の情報操作、漏洩について、これを国民に明らかにするためにも関係政治家の十分な説明こそ求められる。

【上記文章中の※印1〜3の事件の解説】

(※1)
検察が「諏訪メモ」(労使交渉の出席者の発言に関するメモで被告人達のアリバイを証明していた。)をあえて隠していたことは、後日発覚した。

(※2)
犯行現場では毛髪が8本発見されていたが、この毛髪の鑑定書については検察側が存在を否定していた。しかし2005年になって検察側から弁護側に鑑定書が開示され、重要な鑑定書が隠蔽されていたが分かった。

(※3)
東京高裁は、福島県発注のダム工事をめぐる汚職事件で、佐藤栄佐久福島県知事(当時)について、買い手を見つけることが困難な土地を購入してもらったことによる収賄罪の成立は認めたが、佐藤栄佐久被告人は時価相当額との差額で利益を得る認識がなく、約7300万円とされた差額分をわいろと認めなかった。